プロバスケットボール選手の佐藤マクファーレン優樹さん。
オーストラリアと日本のハーフで、堀の深いお顔がとてもイケメンですよね。
実はモデル活動や外部コーチなど多彩な仕事をしている佐藤マクファーレン優樹さんですが、年収が低すぎるという噂もありました。
今回はそんな佐藤マクファーレン優樹さんについて、プロフィールや経歴、そして気になる年収についてご紹介していきます。ぜひご覧になってくださいね。
目次
佐藤マクファーレン優樹のプロフィール!身長や国籍は?
佐藤マクファーレン優樹のプロフィール
生年月日:1992年12月13日
年齢:31歳
身長:178㎝
体重:78㎏
出身:東京都文京区
職業:プロバスケットボール選手、モデル
佐藤マクファーレン優樹さんは1992年12月13日に東京都文京区で生まれました。
身長は178㎝です。バスケットボール選手としては小柄ですが、所属チームを引っ張っていく存在として欠かせません。
また、モデルとしても活動を続けており、ミスターワールドの日本代表として参加した経歴も持っています。
国籍はオーストラリアと日本とイギリスの3つ
そんな佐藤マクファーレン優樹さんは、オーストラリア人と日本人のハーフ。
さらに父親はイギリス系オーストラリア人。
そのため、
・日本
・イギリス
出身こそ日本なものの、幼少期はシンガポールや上海で育った佐藤マクファーレン優樹さん。
海外で過ごしていた時は『日本人』、日本に帰国したときは『外国人』という扱いを受けており、当時はとても困惑していた様子。
どこに行っても常にあったのは偏見と差別の目。
僕は父親がオーストラリア人、母親が日本人のハーフなのですが、海外で外国人の中にいると「日本人」として見られ、逆に日本人の中にいると「外国人」という扱いを受けてしまう。
子供の頃はずっと自分のアイデンティティを確立できず、「自分はいったい何人(なにじん)なんだろう」と悩み続けていました。
引用元:パーソナルキャリア
それでもバスケットボールを始めてから周囲の目が変わり、国籍や外見ではなく、1人のバスケットボール選手という認識に変わっていったそう。
『自分の居場所はここなんだ』と自信を持てるようになったと語っていました。
佐藤マクファーレンの経歴まとめ
続いて佐藤マクファーレン優樹さんの経歴についてご紹介していきます。
佐藤マクファーレン優樹の経歴
2013-2014シーズン終了後、退団。
1か月で退団。
モデル活動も始め、ミスター・ワールド日本代表に選ばれる。スポーツ部門で6位入賞。
3人制プロバスケチーム「BLUE BEES.EXE」に所属。
2012年、佐藤マクファーレン優樹さんはデイトリックつくばに入団しました。
しかしBJリーグに参入する東京サンレーヴスからのオファーが。
そのため、同年7月にデイトリックつくばを退団し、東京サンレーヴスに所属しました。
東京サンレーヴスでは2シーズンにわたって試合に出場。2シーズン目の2013‐2014シーズンが終了後、チームを退団しています。
2014年12月にはNBLのつくばロボッツ(茨城ロボッツ)と契約したものの、1か月後の2015年1月で退団しました。
2016年には以前所属していた東京サンレーヴスに再び所属。
同時期にモデル業も始め、ミスター・ワールド日本代表として大会に参加。見事6位という功績を残しています。
翌年には東京サンレーヴスを退団し、3人制プロバスケットボールチーム『BLUE BEES.EXE』と契約をしました。
2020年にはホリエモンこと堀江貴文さんがオーナーを務めるチーム『HIU ZEROCKETS.EXE』に所属し、現在まで活動を続けています。
経歴を見るとチームを転々としていたことが分かりますね。
モデル業と併せると、慌ただしい日々を送っていたのではないでしょうか?
大怪我をしたことも?復帰までの道のり
バスケットボール選手として活躍していた佐藤マクファーレン優樹さん。
実は2017年に、腰の骨を4か所骨折する大怪我を負っていたことが分かりました。
その時の状態は、骨折と一緒に髄液が漏れ低髄液圧症になり、常に脳震盪が起きているような状態だったとのこと。
3か月以上病院のベッドの上での生活だったらしく、復帰する可能性は低いと言われていたそう。
そこからアスリートが復帰することは稀らしく、「もうスポーツはできなくなる可能性が高い」と言われ本当にショックでした。
引用元:パーソナルキャリア
その後はリハビリを重ね、なんとか復帰を果たした佐藤マクファーレン優樹さん。
復帰後は体を思うように動かせなかったそうですが、BLUE BEES.EXEと契約後は試合を通して調子を取り戻していったそうです。
一時は絶望的な状態でしたが、諦めずに食らいついたことでバスケットボール選手として復活することが出来たんですね。
佐藤マクファーレン優樹の年収を調査
プロバスケットボール選手として活動中の佐藤マクファーレン優樹さんですが、年収が低いと囁かれています。
そこで佐藤マクファーレン優樹さんの年収について調査してみました。
プロバスケットボール選手としての年収
佐藤マクファーレン優樹さんはB3リーグの選手ですが、年収は公開されていません。
しかしバスケットボール選手は、
‣B2で240万円
と最低年棒が定められています。B3は公開されていませんが、おおよそ180万円くらいではないかと推測しました。
もちろん活躍次第ではもっと金額が跳ね上がるかと思いますが、現状B3リーグの選手は専業ではなく副業をしている人も多いとのこと。
そのため、年収は一般的な職業よりも低い可能性が高いです。
モデルや外部コーチの収入は?
プロバスケットボール選手として活動している佐藤マクファーレン優樹さんですが、実際はモデルや外部コーチのお仕事もされています。
一般的なモデルの平均年収は200~300万ほど。
専属であればこのぐらいは到達すると思いますが、佐藤マクファーレン優樹さんとしてはマルチで活動をしている人なので、ずっとモデル活動をしているわけではないと考えられますよね。
また、明治学院大学で女子バスケットボール部の外部コーチとしても活動。
外部コーチの収入は日給2000円から3000円前後が平均的のため、コーチの回数によっても収入が大幅に変わってきます。
僕はただお金をもらうためだけに働くことはしたくないし、自分がその仕事に価値を感じるかどうかを一番大事にしているということ。
たとえ最初は収益が少なくても、それを信じて情熱的に打ち込んでいれば、必ず何かの形にはなると思っています。
引用元:パーソナルキャリア
バスケットボール以外にも収入があることも含め、おおよそ500万前後が年収なのではないかと推測しました。
まとめ
今回は佐藤マクファーレン優樹さんのプロフィールや年収についてご紹介しました。
プロバスケットボール選手だけでなく、幅広く活動をしていることで自身の見聞を広めているのではないでしょうか?
マルチで活動を続けるのは大変かと思いますが、そんな佐藤マクファーレン優樹さんを今後も応援していきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。